2014年 02月 05日
【音楽】佐村河内守さんの主要な楽曲は別人作…十数年前から佐村河内さんが別の人物にイメージなどを伝え、曲にしてもらっていた
【社会】「18年、佐村河内氏のゴーストライターをやってました」 新垣隆氏が6日に会見
(引用ここまで) この問題では多くのマスゴミが多くの報道をしてきました。曰く現代のベートーベン云々… 佐村河内氏が嘘をついたことが問題だということは確かですがここでは論じません。 マスゴミ諸氏のリテラシーも問題ですがこれを褒めそやした人々はどう反省するのでしょうか。 この作品については否定的な評価が殆どなかったはずです。それも素人ではなくプロと言われる人々がです。 本来芸術家はその作品だけで語られるべきでしょう。それがどのような境遇の人が作ったかで作品の価値が変わるんでしょうか。ベートーベンの作品が評価されるのは彼が耳が聞こえなかったからじゃないでしょう。 もし、この作曲者が佐村河内氏でないことで葬り去るならば今まで評価された人々はどういう反省をされるんでしょうか。このことを聞きたいものです。 小生はクラシック界の評論家というものについてかなり疑問を持ってます。フランツ・ヨーゼフ・ハイドンという作曲家がいます。 その作品とされていたものに「弦楽四重奏曲op-3」があります。これは俗にハイドンのセレナードと言われ親しまれていたものでした。 昔からこの曲は構成が単純だから他人の作品じゃないかという疑惑を持つ学者や音楽家は多かったのでした、しかしハイドン作としてとく演奏されていたものです。 ところが近年ホフシュテッターという人物の作品だと分かり一気に聞かなくなったものです。 クラシック界ではこのようなことが結構起こるのです。 同じハイドンでは「おもちゃの交響曲」があります。名曲じゃなかったのかね、これ・・・ マリス・ヤンソンスと言う指揮者がいます。この御仁このハイドンのセレナードをアンコールピースとして結構使います。 名曲だからというのが本人の意思でしょうか、これはおそらく音楽界に対する皮肉だろうと思います。 佐村河内氏作とされた作品を名曲と言い切った人々はどうするのでしょうか。 新垣氏の作品をそのまま素で評価できるのでしょうか。これは作品に対する二重の冒涜です。 個人的には無伴奏のためのシャコンヌは良かったと思いますが交響曲hiroshimaはどうなのかなあと思ったものです。 聞いた時マーラーやショスタコあたりのほうが上だろうと思ったものです。 まあこの作品の真の評価を決めるのは100年後の人々なんですが葬り去られないことだけを一音楽ファンとして祈りたいと思います
by kazkpowerfull
| 2014-02-05 22:30
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